芸術祭の公共圏―敵対と居心地の悪さは超えられるか?/The Public Spehre of the Art Festival ― Transcending Antagonism and Uncanniness?

【イベント開催のお知らせ】
「芸術祭の公共圏―敵対と居心地の悪さは超えられるか?」
出演:丹羽良徳(アーティスト)、F.アツミ(編集/批評)
ゲスト:藤田直哉(文芸評論家)、丸山美佳(インディペンデント・キュレーター)
日時:2017年11月25日[土] 18:00−19:30 (開場 17:45)
会場:NADiff a/p/a/r/t
定員:50名 入場料:1,000円

―解題:新刊『資本主義が終わるまで』(2017年)のインタビューにおいて、現在ウィーンに拠点を置く丹羽良徳は国内で隆盛を極める「地域アート」を中心にした芸術祭は数年後には半減すると予測する。一方で、文芸評論家の藤田直哉は丹羽良徳の「歴代町長に現町長を表敬訪問してもらう」(2016年)に直島で邂逅し、「故郷喪失者が抱く、『地域アート』への居心地の悪さ」と題した寄稿文のなかで「地域アート」に対してつねに抱く違和感と和解する可能性を予感する。また、インディペンデント・キュレーターの丸山美佳はウィーン・ビエンナーレの展示構成にヨーロッパに残る選民意識の一端を見出す。
 ウィーン、アテネ、カッセル、ミュンスターヴェネチア、あるいは直島、福島、横浜、そして札幌……。丹羽良徳によるパブリック・ドメインをテーマとしたウィーンでの出版記念イベントの報告とともに、アートや芸術祭に対するヨーロッパと日本の間にあるパララックス(視差)に目を向ける。アーティストが描きだす敵対的な構図や観客に与える居心地の悪さを超えて、芸術祭は誰のために、そして何のために、どのような公共圏を提示することができるのだろう。そして、その正当性はどこにあるのだろうか。アーティスト、批評家、キュレーターのそれぞれの視点から、アーティストやアートの役割とこれからの芸術祭の可能性を探る。
 今日、資本主義の終わりを前に、私たちは前衛のゾンビと化したアート、あるいはアーティストとともに、この野蛮なまでに苛烈な世界をどのようにして生き抜くことができるのだろうか?

→イベント予約 http://www.nadiff.com/?p=7628

【Event Participation】
"The Public Spehre of the Art Festival ― Transcending Antagonism and Uncanniness?"
Yoshinori Niwa(Artist), Naoya Fujita(Critic), Mika Maruyama(Curator), F. Atsumi(Editor/Critique)
November 25, 2017 at NADiff a/p/a/r/t